最高裁判所第一小法廷 昭和54年(オ)893号 判決 1979年12月06日
上告人(原告)
中田修二
被上告人(被告)
瀇崎洋祐
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人梅村義治の上告理由六(八)について
本件訴訟の経過に照らし、所論の点に関する原審の措置に違法があるものとは認められない。論旨は、採用することができない。
同代理人のその余の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、いずれも採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤崎萬里 団藤重光 本山亨 戸田弘 中村治朗)
上告理由
一 原判決には民事訴訟法第三九四条後段の判決に影響を及ぼすべき法令の違背があり、かつ同法第三九五条第一項第六号の理由不備の違法がある。
二 右違肯により判決に及ぼす影響の唯一の論点は、上告人が本事件に関る自動車事故により腰椎椎間板損傷の後遺損害を受けたかどうかの一点である。
三 上告人が本理由書で述べる論旨は、原審が右障害と事故との因果関係を否定した判断が違法な誤れる結論であることを出張し、その因果関係の存在が肯認さるべきであることを主張するのである。
四 この点につき一審松江地方裁判所浜田支部は、右自動車事故による上告人の右後遺障害の受傷の事実を肯認し、原審は一転これを全面的に否定した。
五 原審の右否定にあたり一審後の証拠として提出されたのは、甲第二四ないし第二六号証(上告人提出)と、乙第二四号証の一ないし四(外傷外科全書抜粋)並びに一審鑑定人山根実の証言である。
してみると、原審が一審判決を否定するにつき一審以後の判断資料として得たのは甲号証は措き、乙号証の一般的医学書の抜粋と、医師の証言にすぎない。しかもこの医師の証言は、一審鑑定人として鑑定書を提出した医師の証言であるから、鑑定書の内容を説明した限りのものである。
そうすると、原審は形式上は一審判決を否定するにつき、殆んど新資料なしにこれをしたの観がある。
即ち、殆んど同一資料にもとづき一審の原審の判断が正反対になつたことに注目されたい。
六 原審の違法
(一) 経験則違反の第一
争いの対象となつていない事実によると
上告人は昭和一一年三月九日出生の男であること
本件の自動車事故は昭和四九年三月一七日発生したこと
右事故発生当時上告人が三八歳であつたこと
上告人は一五、六歳頃より漁船員として稼働し、事故発生前まで通常に働いていたこと
事故後入院加療し、現在腰椎椎間板変性症及び左根性座骨神経痛の症状があることが認められ、
原判決の認定(原判決七丁裏面中段)によると、昭和四九年四月一一日頃より前記症状の起因となる腰椎椎間板ヘルニアが発症したとするのである。
とすると、右の関係を図示すると別紙添付図の如くになる。
そうすると、原審が問題とする三週間の期間(原判決八丁裏面末段)は、上告人の生活歴からすると極く短期の間にすぎず、自動車事故との接着の程度は密接なものであるから、ヘルニア発症の起因として他に特段の事情のない限り、ヘルニア発症と自動車事故の間に因果関係ありと推認さるべきは経験則の示すところといわなければならない。
しかるに、原審は右の経験則に何らの考慮を払わず、又はこれに反する特段の合理的な事情の存在を説明していない。
(二) 経験則違反の第二
原判決は九丁右頁前段において、上告人が「本件事故により椎間板に格別の損傷を負わなかつたことは明らか」であると認定している。
しかし、原審の認定した事故態様は、上告人運転車の右前部に被上告人運転車が衝突したとするもので、その結果上告人は外傷として、両膝部、右肘部、頭部打撲の傷害を受けたのであるが、その際腰部椎間板に格別の損傷を負わなかつたことが明らかであるとは経験則上は考え難い。
これにつき原審は、椎間板ヘルニアは一回的外力により生じ得ること、並びに慢性的椎間板の老化により僅かな外力により生じ得ることのあることを認定し、一回的外力による場合は、その瞬間から激痛を発し、慢性的老化の場合は一週間以上も経つてから腰痛を生ずることは通常考え難いからであるとしている(原判決八丁後段から八丁裏面前段)。
右認定事実に原判決認定の治療経過等(原判決九丁右頁四行目「前記2」とあるのは「前記1」の誤りか)を総合して椎間板に格別の損傷がなかつたとするのである。
しかし、原審の認定事実によるも、自動車の衝突事故により腰椎に何らかの損傷が生じたであろうとする経験則を破ることはできない。
即ち、原審が認定する一回的外力による場合、その瞬間から激痛を発するとする断定自体正しいとはいえない。
身体の一部を切傷した場合、その患部に激痛を発するのは経験則上疑問の余地がないが、椎間板損傷は、椎間板の変性による神経への影響が症候となるのであり(乙第二二号証の三、三六五頁a等)その症状は甚だしく複雑となる、とされる。
したがつて、ヘルニアの疼痛自体も圧迫感、不快感、鈍痛、放散痛など種々であり、かつ時間の経過とともに強くもなり弱くもなる(乙第二二号証の三、三六一頁b)。
また疼痛発作自体を欠き漸次腰痛を訴えるもの、また下肢に放散痛を訴えるものなどもある(乙第二一号証の四、九〇頁末尾二行)。
したがつて、事故当時激痛を発しなかつたからといつて、腰椎に何らの損傷がなかつたとはいえず、原判決認定の三週間後に腰痛を訴えたからといつて、事故による損傷がなかつたとはいえない。
即ち、自動車の衝突による衝撃により腰椎に何らかの影響があり、これが現症として残る障害に原因を与えたものと考えるのが経験則上当然であるのに、これを原審は首肯し得る理由のないのに排斥したものというべきである。
(三) 経験則違反の第三
原判決認定事実(原判決八丁裏面後段)によると、上告人の現症状は椎間板の老化を基盤とし、これに外力が誘因となつて発生したもので、その時期が本件事故から三週間位後であるので、事故と現症状の因果関係がないとされている。
しかし、椎間板変性の現症状が椎間板の老化によるものとしても、事故後三週間は未だ膝の受傷により通院加療中の間であり、その間に腰椎に加わつた外力は、膝の受傷と全く因果関係がないとするのは経験則に反する。
即ち、膝の外傷があれば、歩行等の間に腰椎に不自然な荷重が加わることは当然の経験則というべきである。
そうすると、事故前二〇数年にわたり症状の発生がなかつたのに事故後数週間の間に異常が発生したというのであれば、異常の発生が事故後数週間内に偶然に生じたというよりは、事故と何らかの関係があつたと考えるのが自然である。
一審判決は、そのように判断している。
しかるに原判決は、異常が事故後生じたにつき何ら首肯し得る事実の指摘もなく、単に事故後三週間を経過している事実のみを指摘し、事故との因果関係を否定している。
膝の受傷は腰椎に関連を及ぼすのであり、膝の受傷に関連のない障害ならいざ知らず、関連の深い腰椎の障害であるから、自動車事故と腰椎変性に因果関係がある。
(原審が左膝部打撲の事実を認定しながら腰椎に対する影響なしとした判断は如何とも理解し難い)
(四) 理由不備の第一
原判決八丁裏面四行目以下の判断につき、原審は、上告人が本件事故により椎間板に格別の損傷を負わなかつたことは明らかとし、その理由として、「右の事実に前記2に認定した事実を総合する」と記載されている。
前記2は前記の1の誤記と考えるにしても、1、2を総合して事故による椎間板に格別の損傷が起らなかつたと認定し得る事実は、1、2の事実のうち上告人が腰痛を訴えたとするのは事故後三週間を経た後であること、一回的外力による腰椎変性には瞬時に激痛を生ずるということ、の事実以外にはない。
そうすると、腰椎椎間板変性症において、一回的外力が生じた場合においても必ずしも瞬時に激痛を発するとは限らないとすれば、原審認定の根拠はなくなる。
ところが乙第二〇、二一、二二、二三号証の各医学書において、一回的外力が加わつた場合常に瞬時に激痛が発するとはどこにも書いてないし、逆に非定型的な症状として、直ちに疼痛が発生しないことのあることを述べている。
山根鑑定人の所見は結局事故による影響はわからないというのであり、中村医師の証言は事故直後腰痛を訴えなかつたから事故と関係がないのであろうとするにすぎない。したがつて原審の、一回的外力による椎間板損傷より発する疼痛は瞬時に激痛を発するものであるとの判断は、証拠により合理的に推論できる判断ではない。しかるに、そのような判断をしたのは理由に不備がある。
(五) 理由不備の第二
原判決八丁六行目に(右認定に反する原審証人半田貢雪の供述部分は措信できない)とされる部分は、措信できない理由の説明が不備である。
半田証人は医師であり、医師としての見解を証言している。しかるに何らの説明もなしに措信できないとするのは、証人の証言が専門的知識にもとづくものである以上、信用できないとする理由が不明である。
医師の所見が対立する場合、一方を採用するについては、これがより合理性があるとか、何らかの理由がないかぎり、一方的に排斥することは許されない。証言を排斥する理由は説示を要しないとしても、証言の内容によりけりである。
(六) 理由不備の第三
原判決八丁裏面後段において、椎間板変性の発症の時期が自動車事故から三週間位後であることに照らし、未だこれが本件事故と因果関係を有するものということができないと判断されている。
三週間位後であればなぜ因果関係を有するものとすることができないのか、その理由は原判決八丁一行目の、一週間以上も経つて腰痛を生ずるようなことは通常考え難いことが認められる、とする点にあると思われる。
しかし、原判決の認定によつても、通常考えられないとするのであつて、椎間板変性症状の多様さからすれば、三週間後に腰痛の顕在化することもある。また腰痛として発症せず下肢の放散痛として現れることもある。(乙第二一号証の四、九〇頁下から二行目)
とすれば、三週間後に変性が顕在化したところで、この理由によつて事故との因果関係がないとの結論はでてこない。
(七) 理由不備の第四
原審の因果関係に関する判断は、上告人の現症状と自動車事故との関連について、経験則上反証なければ因果関係ありと認定すべきを、経験則を無視し反証なければ因果関係なしとする推論に終始している如くである。
即ち原審は、事故の発生と推間板損傷の事実を認定しながらその間に三週間の期間があるとし、事故と損傷の因果関係を否定するのであるが、三週間の期間が因果関係を遮断する根拠となることが十分に立証されてはじめて因果関係否定の論拠となるに拘らず、逆に三週間の期間につき上告人にその期間があつても更に因果関係の存することの証明を求めている。
これは採証の法則に違反するか、理由齟齬の違法があると考える。
(八) 審理不尽の違法
以上の因果関係につき、上告人は原審判決の言渡日より二〇日以前に準備書面並びに証拠申出をなし、同時に弁論再開の申出をした(昭和五四年五月四日)。
しかるに再開はなされず、結局鑑定人の尋問、乙号証(医学書)の提出のみを新証拠として、一審判決と異なる結論をした。
これはなすべき弁論及び証拠調べにつき、審理がつくされなかつた違法ありというべきである。
七 以上により、原審の判断は誤つていることが明らかと考えるので破棄を求める。
以上
(別紙) 略